栗城史多(くりきのぶかず) 応援団

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このページは黒木安馬が責任監修しており、
全国の相互啓発勉強会【3%の会】会員約5700人が無償応援している案内サイトです。
全国各地で会員の皆さんがボランティアで、栗城くん(会員番号8848)の冒険と生き方を心から支援し、
講演会開催、基金活動、各界への呼掛けなど多くを企画実現しています。 感謝

              このサイトの問合せ 黒木へのMailは⇒写真を click(クリッキ)




 2010年正月 NHK総合TV 1月4日午後7時30分〜8時45分に栗城史多・特集を放映
(再放送 1月9日夕方4時から)

 以下はNHKのHomepageより                                             

エベレストなど、世界7大陸の最高峰「7サミット」に、
自らカメラ片手に撮影をしながら挑戦し続ける登山家・栗城史多さんを描く絶景満載のドキュメント。
氷河の裂け目を飛び越える! 切り立った絶壁をよじ登る! 
驚くべき映像の連続に加え、命がけの挑戦やクライマックスの極限状態での決断を伝える。
NHKの新春を飾る、美しくそしてドラマチックな、見応えたっぷりの73分。

7サミット 極限への挑戦

1月4日(月)総合 午後7:30〜8:45

 7 summit(セブンサミット)。世界7大陸の最高峰の山々を指す呼び名だ。
 いま、この「7 summit」を日本人で初めて「単独・無酸素」で制覇しようとしている若者がいる。
栗城史多(27歳)。8年前、進路に迷ってフリーターになり、今も“ニートのアルピニスト”を自称する栗城は、
自らの登山をカメラ片手に撮影しながら登るというとんでもない挑戦も続けてきた。
危険な撮影に挑むのは、この激動の時代を生きる人々に登山を通して何かを伝えたいと考えているからだ。
映像には、氷柱や大岩壁など“大陸ごとに全く異なる山々の姿”、
そして底なしのクレバスや山中に放置された死体と向き合う“一人きりの登山の過酷さ”がありのままに記録されている。
そんな栗城は、海外登山を始めてわずか5年で6つの最高峰登頂に成功、この秋、最後の挑戦となるチョモランマを目指した。
果たして彼が伝える究極のメッセージとは。
 番組は、「7 summit」制覇という大スケールの挑戦と感動を余すことなく描いていく。



12月15日 栗城・新刊本 発売!!

一歩を越える勇気   栗城史多・サンマーク出版 \1365
新刊の購入は⇒ 


 日本TV(読売TV系列)「スッキリ!!」、
フジTV「山のバカヤロ〜」では1時間のドキュメンタリー番組を全国放映

【世界7大陸最高峰 単独登頂チャレンジ中】
 ソロ・アルピニスト  栗城 史多 


栗城史多(くりき・のぶかず) 3%の会】応援団


  

           栗城史多(くりき・のぶかず)

 無酸素・単独 7大陸 最高峰登頂に 挑戦中    
6大陸成功、最終のEverest(8848m)挑戦は2010年8月
                     


    すでに6大陸制覇 

残りは2010年のエベレスト制覇のみ。

     

1982年6月9日生まれ  現在27才 北海道瀬棚郡 今金町 出身(函館近く)生まれ
身長162cm  体重61キロ 札幌市内在住のソロ・アルピニスト。

小学校の遠足以来、山に登ったことのない小柄な若者が、
4年前の21才で彼女に誘われて山岳部に入部。
その2年後には、無謀で自殺行為だと言う専門家たちの反対を押し切って、
植村直己さんも遭難死した、あの北米大陸最高峰「マッキンリイー」に単独・無酸素登頂に成功。
半年後には「南米大陸最高峰・アコンカグア」、
その半年後に「欧州最高峰・エルブルース」、
その4ヵ月後に「アフリカ大陸最高峰・キリマンジャロ」、
「オセアニア州最高峰・カルステンツ・ピラミッド」と、
神がかり的な快進撃を続けている。
そして残すは、危険すぎると言う理由で単独登頂を禁止されてかつて断念した
「南極最高峰・ビンソンマシフ」を12月29日に制覇。
更に「世界最高峰・エベレスト」を目指す。
三浦雄一郎氏、野口健氏など著名な登山家は世界に多くいるが、
【無酸素・単独】は歴史上で前例がなく、
今年の26才誕生日までに7大陸登頂が成功すれば、これも史上初となる。

“素人のニート登山家”(AERA 10月1日号)と表現されているが、
会っていてもごく普通の純朴な青年であり、
どこにそのガッツがあるのか、別人ではないかと疑うほど大人しく礼儀正しい人柄である。
登山費用も総て単独で、小さな講演活動や北海道の地元の企業などからの応援募金でやりくりしている、
まさにこれも前例のない登山家と言える。                              
ただ、渡航費用や登山の諸経費は莫大なものが必要であり、
この“活きるとは何か!?の勇気を与えてくれる栗城史多(くりきのぶかず)”青年の偉業を
全面的に応援すべく、私たちも広報や活動資金づくりにボランティアで尽力しております。

Institute of  Success Technology Japan/鞄本成功学会




 
栗城vs黒木 ↑運命の出会い・その日の写真
 
本来であれば直接会うことも、大臣室に入ることも個人では無理であるが、【3%の会】会員の皆さんの尽力で奇跡が!
しかも、冬柴国土交通大臣から「ようこそJAPAN」政府公認と、応援の色紙までも!!
また、中国政府にも直接連絡をしていただいて登山・入山の便宜なども計らってもらうなど破格の援助を頂けました。
この国家の認証がその後の栗城ワールド協賛へ大きな力になりました (*^_^*)v 〜 ♪



広い国交省大臣室で色紙を書いてもらっている栗城史多 
窓の向こうは皇居と国会議事堂が眼下に眺望


 
認可されるのが難しい「ようこそJAPAN」を、その場で政府許可・委託される!


2月7日’08 6番目の南極征服報告を、二度目もまた、大臣室でパソコン映像で詳しく帰国報告




HIS、Skymark航空などの創業者 澤田秀雄氏が
大きく栗城応援基金に協力



SONY本社役員室で Sony-Music社長の盛田氏にSONYの協力依頼
(Sony創業者・盛田昭夫さんの次男)

このようにして、大手ビール会社の役員、大手自動車会社の社長など、様々の伝を頼りに日々一緒に歩いたものです(*^_^*)v 〜 ♪



 
南極大陸最高峰 ビンソンマシフ登頂成功直後




 





三浦雄一郎氏も栗城さんにエールを送って、無酸素訓練室貸し出しなどでも協力!
三浦さん講演会の乾杯挨拶で黒木はこう言いました、これは今でも栗城くんにも言っております。

お金を失うことは少し失うこと
名誉を失うことは大きく失うこと
勇気を失うことは総てを失うこと
                  (J.F.Kennedy)

EVEREST(8848m)から栗城さんの【3%の会】名誉会員番号は#8848です!

 

栗城史多(くりきのぶかず)講演会は【3%の会】会員皆さんの全国NETWORKで
各地で開催されております!

講演のやり方など詳細の問合せ【3%の会】は


東北地区 ⇒ 豊口寿郎さん ttoyo@nifty.com
名古屋地区 ⇒ 八木勇達さん you-tat@sf.commufa.jp
関西地区 ⇒ 角谷智志さん kakutani@wish.ocn.ne.jp




栗城史多を心から支援するKSGグループ、美人社長の高橋泉さん(中央)
その高橋さん紹介でラ・ロシェルで集合記念写真
後ろ中央左はミシュラン三ツ星の寿司店「銀座・九兵衛」今田洋輔社長、
右は料理の鉄人・ムッシュー坂井宏行さんで、ギネス挑戦・世界で一番高いEverestで流しソーメンを食べる登山企画時に
わざわざ特製「麺つゆ」を作ってもらいました!



CAKEの山に登山している栗城人形つきの特製CAKE

  ?⇒
栗城出身地の北海道今金町とは隣町という北島三郎さん。
JAL乗務員時代に「ギネス挑戦 世界初・一万メートル上空機上コンサート」を黒木が一緒に実現した関係で
その実弟である北島事務所の大野(三郎さん兄弟の本名)専務と会談、
7大陸登頂成功時にはサブちゃんと一緒に札幌市内を凱旋パレードをやりましょう!と盛り上がる栗城青年。



入室禁止の中継室「news23」などのTBS報道スタジオのDeskに特別に潜入してホンモノの席に着席
理由は ⇒ 近い将来は必ずここに座って出演している生のイメージを身体と潜在意識に覚えさせる!
そのような次の目標をたえず明確に持つことで活力と生命力が持続する動機付け?



TBS本局前で。ひょうきんなのか、ただのアホなのか・・・

栗城くんをつれて二人で、黒木の事務所隣にある青山霊園、
乃木希典(まれすけ)将軍の墓に行った時のこと。
これが乃木将軍の墓だよ・・・誰ですか、その人? から始まった会話。


三流の人生は金を残す
二流の人生は名を残す
一流の人生は人を残す

乃木さんの名前や乃木坂、坂の上の雲は知らなくても構わない、それが時代の流れ。
栗城と言う人がいた、その事実もそのうち誰も覚えていない時が将来は同じようにやってくる。
ただ、君の冒険の功績が後世の人たちに勇気を与えて、新しい時代を切り開く。
「誰かが行かなければ、道はできない!」
それでいいのだよ・・・・


世界初偉業の夢実現をお手伝い頂けるスポンサーを探しております!





栗城史多(くりきのぶかず)さんの感動講演を開催して資金など応援していただけませんか?

講演会・サイン会・写真撮影会と皆さんから寄付が次々に

 
info@3percent-club.com



植村直己氏はマッキンレー山で遭難されましたが、
クレバスに落ちないようにこうして竹ざおを身体に巻きつけていました。
北廻り欧州線時代のAnchorageで最後の姿を目にしたのが昨日のようです。
黒木は植村さん出身地の兵庫県日高町で成人式記念講演などで
数回お邪魔しており、植村直己記念館が出来るまで通いました。


 


黒木安馬 著作 「 学・正面教師 」(講談社)より 栗城部分を抜粋

人類史上初の大冒険 夢は叶えるためにある!

難しいから、やる勇気がないのではない。やる勇気がないから難しいのである。――古代ローマ哲学者 セネカ

〜〜 《”成幸学・正面教師”(講談社) より抜粋》

《どんなプロも最初は素人》

「登龍門」は、立身出世や成功のための関門の意味で使われる。
「後漢書」李膺伝の故事によるが、黄河上流にある龍門の滝を登り切った鯉は、龍になると伝えられている。
垂直に近い角度で落ちてくる激流に魚が飛び跳ねながら渾身の力を振り絞って登り切る姿には感動を覚える。

夢というのは叶うとか叶わないには関係なく、挑戦するだけで意味がある・・・
頂上に立った時に、ピッケルを握り締めて、つくづくそう実感した。
二〇〇七年十二月二十九日、クリスマスも過ぎて大晦日も近いその日、真夜中でも真昼のように明るい
白夜の南極で、南極大陸最高峰ビンソンマシフの頂上を極めた青年がいる。
標高4897b、日本の最高峰である富士山は3776bである。
日本とは季節が逆、南極は真夏だとは言え温度はマイナス五十℃。風が吹くと秒速一bで体感温度は一度下がり、
マイナス七十℃近くになる。極限状態では感覚が麻痺してむしろ寒さを感じない。
普通でも五日以上も続く悪天候の悪魔の風・ブリザードで登れない状態が多く、
極寒と強風で凍傷になり手足の指を失う者が多くいる。地面から吹き上がってくる雪と強風で視界はまったく無くなり、
自分の靴の先も見えない。遭難する可能性がもっとも高くなる。
彼が山頂を極めた時は、天国から見守る母親が奇跡を起こしてくれた。
風はなく快晴、太陽の温かさを感じたほどだった。過去に一度断念せざるを得なかったビンソンマシフ。
入山すら厳しく、吹き飛ばされそうな風速40メートル以上の風に見舞われてベースキャンプのテントも飛ばされ、
ついに時間切れ撤退となって涙を呑む帰国。今回、ついにリベンジで征服したのである。
「みなさん、応援を有難うございました! ほんとうにありがとう!」、
見渡す限り広がる白銀の南極大陸を眼下にしながら、心の底からそう大声で叫び、
氷の頂上に座り込んでひとり大泣きした。

栗城史多(くりきのぶかず)。1982年6月9日生まれ、25才。
函館近くの今金町出身。身長162a、体重61`。
小学校の遠足以来、山に登ったことのない小柄な若者が、四年前の二十一才で憧れの彼女に誘われ山岳部に恐るおそる入部。
ところが、しばらくしてその彼女に振られる。彼はナニクソと思い立つ。
そのわずか二年後には、経験の少ないアマチュア同然の者には無謀すぎて自殺行為だと言う専門家たちの反対を押し切って、
植村直己さんも遭難死した、アラスカにあるあの北米大陸最高峰マッキンリイー(6194b)に挑み、
《単独・無酸素》登頂に成功。
勢いに乗った彼は、なんとその半年後には南米大陸最高峰・アコンカグア(6962b)、
その半年後に欧州最高峰・エルブルース(5642b)、
その4ヵ月後にアフリカ大陸最高峰・キリマンジャロ(5895b)、
オセアニア州最高峰・カルステンツ・ピラミッド(4884b)と、神がかり的な快進撃を続ける。
三浦雄一郎氏、野口健氏など日本でも著名な登山家は世界に多くいるが、
シェルパを複数同行して酸素ボンベを背負って登るのが通常である。
無酸素で、しかも単独での登山。その条件での七大陸制覇は人類史上で前例がない。
最後に残されたエベレストを除き、これで六大陸を制覇したことになった瞬間である。
二〇〇八年春、最後の究極、七大陸目であるエベレスト、現地名チョモランマ、サガルマータ、
その《偉大なる神聖な山》世界最高峰に挑戦する。

若者には過去が無い。なぜデキナイかではなく、どうすればデキルカの未来と前進があるのみである。
が、今までの七千メートル以下の六大陸と比べても、エベレストの単独無酸素は比較にならないぐらい厳しい。
旅客機は一万メートル上空付近を飛行する。
対流圏と成層圏の境界だから最も気流が安定して燃費効率が良いからである。
気温は夏でもマイナス六十℃近く、空気もほとんどない。
窓が割れたりすると気圧の差で外に吸い出されるように吹き飛ばされて、
深海魚が海面に上がってきたときのように目玉や内臓が飛び出すことになる。



七千〜八千b以上は、人間が酸素なしでは危険にさらされる限界の“死の地帯(デスゾーン)”と呼ばれる。
世界最高峰のエベレストは8848メートル、東京タワーの約27倍だから、そこへの登頂の困難さは想像を絶する。
エベレストの頂上は、デスゾーンからさらに1350bも高い。
昨年も日本人が単独無酸素で挑んだが、結局7千b地点で亡くなってしまった。
二十六才誕生日までに七大陸登頂が成功すれば、これもまた史上初、最年少記録となる。



栗城青年との出会いは、つい数ヶ月前の二〇〇七年九月十八日であった。
私の講演会を銀座で開いてもらったことのある、HISやスカイマーク航空創業者の澤田秀雄さん。
彼の講演が目黒雅叙園で行われ、主催者でVAVクラブ会長・クリスマスランド社長、
私の良き友である近藤昌平さんに誘われて私も参加した。
その後の懇親会会場に栗城さんが札幌からわざわざ駆けつけて来ていた。
目的は登山費用のスポンサー探し。
澤田さんと酒を片手にざわめく会場で、立ち話で初対面の彼の話を聞いた。
二千万円が早急に必要だから何とかカンパをお願いしたい、と!
何を考えているんだ、このお兄ちゃん?が最初の印象である。
自分の単なる趣味である遊びみたいな山登りに、二千万円くれないかだと〜!
が、話を聞くうちに驚いた。
マッキンリーで遭難死した植村直己さんは、登山直前にアンカレッジで会い、
その時のいきさつから後に彼の出身地であり同級生でもある兵庫県日高町の町長に依頼されて
成人式記念講演で二度も訪れたことがある。
それが奏功したのか定かではないが、後に植村記念館も建設された。
いかにマッキンリー登山だけでも困難であるかを知っているつもりだった私には、目の前の小柄なフツ〜の青年が、
いとも簡単に、まだ発見されていないその植村さんの屍を乗り越えて最初に登った山なのだと聞いて耳を疑った。
それも、単独で、無酸素で。聞けば、最初にその山を選んだ理由が、旅行客も含めてハイカーなど誰でも入山できるからだと!
 悲壮感漂う孤高のたくましい冒険家イメージ、その登山家には絶対に見えない正反対の、
気さくで明るい童顔の青年が目の前に立っていた。
澤田さんは言った。HISのロゴマークを山頂で振ってもらっても、世界的にはあまり知られていないしねえ。
そりゃあ、ANAのロゴも同じようなものかも知れない。JALだったら歴史的にも認知度は世界的だから、
黒木さんこそ、JALとして協力できるでしょ、あなた力になりなさいよ!
JALは株価も頭打ちで不振から抜け出すのにあえいでいる。大金を出す余裕などあるはずもないし、
いの一番に断られるのは誰よりもこの私が一番知っている。
でもなぜ今になって二千万円もの大金が必要なのか聞いてみた。
今までの五大陸は、誰でも観光客みたいに入山できる国々だったが、南極へは船も飛行機も定期便はいっさいない。
唯一の手段は、南極大陸に一番近いマゼラン海峡近くのチリ最南端にあるプンタアレナスの町から、
軍用機をチャーターするしかない。
その費用だけでも、最小限の友人の登山支援隊員三人と荷物運搬で一人当たり四百万円もする。
だから、今回は誰かにカンパしてもらわないと、南極は難局になるんです――白い歯を見せてハハハッと軽く笑い飛ばす。
なんとも陽気な、能天気といったほうがぴったりの不思議な青年であった。
私も酔った勢いで言ってしまった。よっしゃあ、まかしたれ! 
金は出ないだろうが、南米までの航空運賃は何とかJALに交渉してみよう、と。
その夜、彼からもらったDVDを観ていて不思議に思った。困難を極める登頂の様子が克明に録画されている。
よくもまあ、こんなところまで登って生きて帰ってこられるものだと思う場面が、これでもかと出てくる。
ところが、単独登山であるはずなのに、後からや下から誰かが撮影しているのだ。
すぐに電話で聞いてみる。
ああ、あれは三脚を立てて自分で撮ったものです。
そのカメラは? 
ええ、死ぬ思いで登った数十bであっても、その度に引き返して回収しますよ、ハッハハ・・・
なんとも、あっけらかんとした、それが何か?とでも言うような答え。
それだけではない。パソコン持参で世界に向けて登山の経過をブログ配信までしていると言うのだ。
過去のしがらみや古い思考イメージにこだわらない、このワクを超えたネアカな行動、
その既成概念を持たない彼だからこそ出来る神業なのか!
 こだわらない、かかわらない、こまかいことは気にしない。
その夜は、心地よい夢を見ているようでなかなか寝付かれなかった。

翌日から、目一杯つまっている日程を調整して、行動に出た。
同期や後輩で取締役になっている伝を頼って、JAL本社担当役員と栗城青年を引き合わせることにした。
金が出せないのは重々承知、世界的にJALのPRになる又とない機会だから
ブラジルまでの飛行機代だけでも協力してくれと懇願する。
役員一人の判断では決めかねないが、仮に政府がキャンペーンを張っている《ようこそジャパン》などが一緒に
やってくれるようだとスムーズに決済が取れるのですがねえ、との反応。
政府ってどこ? 
国土交通省。
え、それだったら何とかなるかも! 
すぐに、私が主宰している異業種交流の自己啓発勉強会【3%の会】で関西地区の幹事役をやってくれている
知り合いに電話を入れる。
大臣室には身内の長男である私だってなかなか入れないのに、そう簡単に言われても・・・国土交通大臣の息子。
いや、個人的な問題ではなく、これは国家的大事業の一環、そういう大事な公式の話なんだ、
とかなんとかで無理強いしてアポイントがようやく取れた。
テレビ局、ドキュメンタリー制作会社、新聞社、週刊誌などの知り合いにはくまなく連絡を入れておいたが、
当日はマスコミの入室は不可となりながらも、国土交通省は、ジーパンに登山靴、
リュックを背負ったほろ汚い格好のままの栗城青年を歓迎してくれた。
ひょうたんから駒だったのは、ちょうど北京オリンピックの年でもあるし、
最後の中国側からのエベレスト登頂時には日本国と中国政府の協力も可能になり、
うまく行くと国賓待遇で国際的イベントにすることもできるかも知れないとなったことだ。
それからは栗城青年を同行して、
SONY創業者である盛田昭夫氏の次男であり役員でもある盛田昌夫さんに会わせるために品川の本社に出かけたり、
栗城さんと函館の同郷である北島三郎さんが七大陸制覇のあかつきに北海道凱旋時に同行するように引き合わせたり、
ビール会社などの大企業役員で旧知の方々を訪ね回る連日となった。
その結果、チョビっとだけだよ、とウィンクしていた澤田さんが、とんでもない大金を出してくれることになり、
“素人のニート登山家”は、南極への大飛翔となった。もちろん、その間も、栗城さんは小さな講演活動や
北海道の地元の企業などからの応援募金をやりくりして準備していた。

二人で行動していてもごく普通の純朴な青年で、どこにそのガッツがあるのか、別人ではないかと疑うほど
大人しくて礼儀正しい気遣いの達人、誰からも一瞬で好かれる人柄である。
食事をしていても、彼は肉を口にしない。
魚は問題ないけど、肉でできた筋肉は酸素消費量が激しいから、無酸素登山には良くないという。
誰かから聞いたわけではなく、自分の体験からの結論だとさりげなく言う。
なぜそこまで命の危険を冒してまで山に登るのかと聞く。
それは“そこに山があるから”だと。
聞いてみた自分が恥ずかしくなる。人はなぜ生きているのかを問うに等しい愚問。

昔、あるパーティで三浦雄一郎さんが私と立ち話をしながら何度も爪先で立って上下していた。
背を高く見せるため? 実はそんな虚栄ではなかった。ひと時も休まず目標に向かって筋力を鍛えていたのだ。
この“生きるとは何か?の勇気を与えてくれる栗城史多”青年の偉業を、いつの間にか全面的に応援しようと
尽力する気になってしまっていた自分がいた。実に天使みたいな青年との出会いである。
山男には惚れるな、遭難したら、それっきり。悲しむのは残された者たちだけ。そこで、栗城青年に言った。
遭難しない方法が一つだけある、次のことを常に念頭に置いておけ、と。
オリンピックでゴール・メダリストになった人が機内にいると、必ず自分で出ていって直接インタビューした。
彼らには共通点があった。それは、彼らが一位になることを考えていたのではなく、表彰台に上ったときに、
どんなガッツ・ポーズを取るかをイメージしていた人たちだったということ。
同じように、栗城さんが七大陸制覇することだけを最終目標に設定していれば、最後のエベレスト登頂成功後の
下山時にこそ慢心して事故に遭う可能性が大。だから、ヒーローになった後には、下界でどのような素敵で
有意義な人生を送るかのみを具体的に想像しながら進めと。それは考えるだけではだめ。
具体的に書くこと、いやそのイメージを絵に描いてみること。それが出来れば最高のお守り札。
人間、常に次にやらなければならないことが待っていれば、現在の困難なことは意外と簡単にクリアできる。
自転車乗りと同じで、初心者のように足元だけを見ているとコケるが、遠くを見ているとスイスイと進む。
明日やることがある、次の夢があるってことは人間の命にはとても大事なことなのだ、と。
遭難した人は、間違いなく幸せな状態で死んでいくのだと思います・・・栗城さんがボソッと言う。
極限の状態で登っている最中に疲労と凍える寒さで強烈な睡魔が襲ってくる。いつの間にか、
家族団らんの中で楽しい笑い声が聞こえ、自分は暖かい布団の中にいて、ああ気持ちいいなあと安心する。
ハッと気がつくと奈落のどん底に落ちる寸前の危険に遭遇している自分がいる。
天国からの誘いに乗らないで、正気に戻す自分との戦いですよ。
彼は言う。不可能を可能にするのが栗城の冒険です。低い可能性を努力で高めるのが冒険。
ニートと言われようが、無謀だといわれようが世界一のアホを止めることはできません。
眼鏡屋を営む父に言われました、おまえは山に養子に出したと思っている、人を大事にしろ、感謝しろ、と。
南極遠征の費用工面で苦しんでいる時のブログでも、こう書いている。
「とにかくプッツンしました。今日から甘いものは禁止です。夜の十時に寝るのも禁止です。もう戦闘態勢です。
でもお昼にソフトクリームを二つも食べました。おいちかった。
もし南極に行けなかったらアメリカまで行ってビッタンしてやります・・・」

ある日、栗城さんにこう尋ねたことがある。
「登山の最中に悪天候や高山病など、危機を迎えた時には、どんな事を考えるの?」
この質問に対する栗城青年の言葉が印象に残る。
「すべてをありのままに受け入れるようにします。
ああ自分は今、ピンチかもしれないな。でも仕方ないや、と軽く考えるのです。
ここで大変だ、なんとかこの危機を乗り越えよう、と焦ると周囲が見えなくなりますからね。
ピンチはピンチとして受け入れて冷静に、そして自分が置かれた状況を楽しむぐらいの余裕が必要です。執着が一番危険なのです」 
この表現でも垣間見えるように、カンオケのへりをよじ登っている最中でも、
“ドラえもん”を唄いながら前進する底抜けの明るさ、楽天的な陽転思考が彼を支える成功の神様の正体でもある。

 幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、自分がやるべきことを好きになることである。



  ↑ click 
この本に詳しく記載されています(*^_^*)v 〜 ♪

 
まず見る事のできない栗城史多ネクタイ姿!(右) 普通では奥まで入れない伊勢神宮正式参拝 2009 11月1日【3%の会】定例合宿


伊勢・修養団の中山靖雄先生 【3%の会】発起人の一人。JC日本青年会議所海外青年の船で黒木が講師として乗船して以来数十年の長いお付き合い
まったく失明してしまった中山先生と話し、パワーを貰う栗城青年

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Sometimes you get a lot of rain.....before God gives you your beautiful rainbow !